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R.I.P. Burt Reynolds :「トランザム7000」や「キャノンボール」の痛快なアクション映画で愛された伝説的な映画スターの名優バート・レイノルズさんが死去。享年82歳。



クエンティン・タランティーノ監督の要望に応じて、出演するはずだった「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」の撮影を待たずして、世を去ってしまいました…。


Actor Burt Reynolds has died at 82


70年代から80年代にかけて、主にアクション映画のジャンルで活躍をし、一世を風靡した、かつてのスーパースターのバート・レイノルズさんが、現地のフロリダでは今日の木曜日の9月6日の朝に、ジュピター・メディカル・センターでお亡くなりになられたことを、マネージャーのエリク・クリッツァー氏がマスコミに対して、明らかにしました…。死因については心不全というだけで、詳しくは伝えられていません。享年は82歳でした…。


1936年に、ミシガン州の州都ランシングでお生まれになられたバート・レイノルズさんは、10歳の時に家族が移り住んだフロリダ州のリヴィエラ・ビーチで青春時代を過ごして、高校のフットボール部の花形選手として活躍し、その実績をもとに奨学金を得て、フロリダ州立大学へと進学。カレッジ・フットボールの世界で、さらに実績を積んで、プロのアメフト選手になるはずが、膝の故障がもとで、夢をあきらめ、一時は警察官になることを思案するも、演劇との出会いにより、俳優を志すことに…といった経緯をへて、1958年にテレビ俳優として、デビューを果たし、60年代にはテレビシリーズ「ガンスモーク」のレギュラー・キャストとして、人気を博することになりました。

そんなバート・レイノルズさんの演技者としての才能が開花したと位置づけられているのは、のちに「未来惑星ザルドス」(1974年)や「エクスカリバー 」(1981年)などを発表するカルトな作風のジョン・ブアマン監督がメガホンをとった「脱出」(1972年)ですが、しかし、故人の映画スターとしての魅力が本当に世に認められたのは、得意のフットボールの才能を活かして、主演をつとめた「ザ・ロンゲスト・ヤード」(1974年)に他ならない!!と、お考えの映画通の方は多いのではないでしょうか…?!


その後、ロバート・アルドリッチ監督の「ハッスル」(1975年)を経て、サリー・フィールドと共演した「スモーキー・アンド・ザ・バンディット(トランザム7000)」(1977年)の成功により、スーパースターの座を不動のものにしたバート・レイノルズさんは、アラン・J・パクラ監督の「結婚ゲーム」(1979年)、故ファラ・フォーセットや、ジャッキー・チェンといったオール・スター・キャストを率いて、主演をつとめた「キャノンボール」(1981年)などで活躍し、80年代には当時、人気を二分していたライバルの間柄と言えるクリント・イーストウッドと「シティ・ヒート」(1984年)で、ダブル主演の共演を果たすなどしたことで、映画ファンをワクワクさせてくれたものの、次第にスターの輝きは失せはじめて、低迷し、映画界の表舞台から姿が消えたかのように目立たなくなったのですが、90年代の後半になって…、


当時新進の若い才能のポール・トーマス・アンダーソン監督の求めに応じ、マーク・ウォールバーグと共演した「ブギー・ナイツ」(1997年)で、ポルノ映画界のやり手監督という異色の役どころに扮した名演技が絶賛されて、アカデミー賞の最優秀助演男優賞にノミネート!!という華々しいカムバックを飾り、残念ながら、オスカーは「グッド・ウィル・ハンティング」の故ロビン・ウィリアムズに奪われたものの、その後は貫禄を活かして、様々な映画やテレビへの出演を続けていらっしゃいました…。

そして、冒頭でふれたクエンティン・タランティーノ監督の最新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(2019年7月26日全米公開)では、カルトのマンソン・ファミリーに対して、隠れ家の牧場を貸したオーナーを演じることで、あらためて存在感を発揮してくれるものと期待していたファンの方にとっては、撮影の出番を待たずして、急逝したことは全く残念の心残りになってしまったかもしれません…。


遺作に位置づけられるのは、「バイオハザード」シリーズのジル・バレンタインとして知られるシエンナ・ギロリーと共演したコメディ映画の「ディファイニング・モーメンツ」(北米12月公開予定)になりそうです。



70年代から80年代の映画の黄金期を彩ってくれたタフで、ワイルドな、ヒゲがトレードマークのチャーミングなアクション・スターのご冥福をどうぞ、お祈りください…。


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